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生成AIで開発するべきかどうかについての現時点での考えと議論への逃避
果たして私は、生成AIを使ってシステムプログラミングの授業を進めていいのだろうか?開発や実習系の授業になると、毎回こういう思いが浮かぶ。特に、誰かの発表を見ているとそうだ。
彼らはきっと、CursorやAgyなどの生成AIを用いた開発ツールを使っている。そして、かなりの部分を「彼ら」を使って開発している。
個人的には、そういう態度に少しだけ反抗心を感じてしまう。システムを自ら隅々まで監督して作るべきだし、体験もシステムも細かいところまでちゃんと設計したい。
私が情報工学を志したきっかけとしても、「自分でシステムを小さなブロックから組み上げていく」ところにおもしろさを感じたからである。それに私は、私の脳と手によってシステムを作り上げることに、ある種の職人的な誇りを感じていた部分もあった。
単位のために怠惰にシステムをつくる者や、「報酬が良いから」という理由で情報工学に就く者らとは違うのだという、手で全てを作り上げるのが高専生であるという、そういう誇りも持っていた。
しかしながら、現実問題時間が無い。私のような態度で開発を進めていては、永遠に終わらない。課題は4つぐらい並行して流れているのだ。いちいちそれをやっていては身がもたない。
それに、時代的にも「要件定義 -> 生成AIで実装 -> 改善」のループを回すのが一般的になっている。いつまでも全て自分で実装する態度を堅持するのは、時代を逆行するような態度であるかもしれない。
最後に、この私の思考の最も大きな問題点は、「毎回同じ、答えのない議論をむしかえして、結局自分では何もつくらない」ということだ。これこそが、最も良くない。私は、開発から逃げているのだ。開発をしなければいつまでも、「私はやればできる人間なのだ」と思い込むことができる。これこそが、最も避けるべき問題である。
総合すると、「生成AIシステムでもなんでも使って、とにかく何かを作る」のが最も良いということになる。制限時間は、あと数日しかない。しかも、手元では何も完成していない。非常に心苦しいが、もう仕方がないのかもしれない。